『寝貯めカンタービレ』

 3週間前からノンストップで土曜日まで仕事をしたので、仕事が終わった瞬間から寝貯めた。部屋着に着替えることもなくジーパンとセーターとマフラーにくるまれて、起きるまで寝た。
 西日が煌煌と差し込み、やがて夕焼けそして闇夜に。テレビをつけるでもなく、音楽を流すでもなく、ただただ眠り、起きたときには朝の7時を過ぎていた。
 いろんな夢を見た。ここしばらくであった出来事をなぞるようにいろんなシーンが浮かびいろんな人が登場した。不思議とどんな場面でも酒を飲んでいた。あーだこーだ言いながら、やっぱり酒を飲んでいるときがいちばん本気で本音ということなのだろうか。まさか夢の中でもずっと飲み続けているとは驚きである。
 朝青龍はハワイで眠れているだろうか? 亀田大毅はよく眠れただろうか? 小沢一郎はよく眠れるだろうか? みんないろいろ抱えて生きているし頑張っている。つじつまが合わないところは多分にあるかもしれないが、起きているときよりも寝ているときの方が幸福なんて悲しい話だ。せめて酒飲んでストレス解消して、起きている時間に頑張るためにちゃんとした眠りをしたいものだ。
 ということでこれからは睡眠。快眠のススメなるものがあるとするならば率先して学習したいと思っている。寝るための快眠とともに、ちゃんと起きて頑張れるために、ね。



『美と遭遇す』

 友人の結婚披露宴の打ち合わせでちょっとした仕掛けをするにあたり、憧れていた人に出会えた。
 その人は、まるで向こう側の景色が透き通るような透明感の持ち主で、その声は空に羽ばたく鳥のように美しい。
 美しいものは人の心をまっすぐに動かす力を持つ。いくら本人が無意識であっても、である。それが憧れというものであり、すなわち美のパワーである。
 ただし、本人があまりにも己の美を意識しすぎて、悪戯に美力を使うとすれば、歪んだ方向にパワーは働く。美と罪との関係は、歴史が明らかにしている。美とは無垢なるものゆえ、傷つき傷つけやすく、危険もつきまとうのである。
 僕のような美を感じるプロフェッショナルは、美に触れると確実に伸びる。この年にしてランチタイムのわずかな時間で身長が約3センチほど高くなる(当社比)。しかも脚だけ長くなるのだ。だからもって、ちょっとフワフワユラユラするのである。
 足下は不安定だが、思考的には確実に伸びる。なぜならば、美の恩恵にあずかることですべての醜いものが脳裏から除去され、スマートで美しいものばかりが大胆に発想されるからだ。
 美しいものを見た日には、野菜ばかり食べたくなる。肉を食べると心の中が汚れてしまう気がするのである。そんなわけでその日のランチは季節のもぎ立てサラダを頼んだのだが、その中に鶏レバーとかもも肉とかがギッシリ入っていたので、「ううっ、これでは…」と思ったけれど、正面にいるヴィーナスも同じ物を食していたので、やっぱ肉はアリ!に変更した。しかもメインで太陽鶏のグリルをお腹満タンに詰め込んで幸せいっぱいになった。もうベジタリアンみたいな発言は二度としない。

 この週末は美の余韻を感じながら過ごす。肉はやっぱりチキンのみだな。完璧に影響されるのも気持ちいいものだ。ふわふわゆらゆら。



『ふるさとで』

 岐阜で3泊している間にいろいろあった。
 城彰二くんと地元でトークショーをやれたことはすごく意味のある事だと思ってるし、意味のあるものにしていかなきゃいかんと思ってる。
 城くんのサッカースクールは、俺にとっても学習の場だった。いろんなものがいっぱい詰まってた。やっぱ世界に出た男の時間は濃くて深い。
 翌日は関市の若い人たちとお話しする場をいただいたので、というか、質問を受ける機会をいただいたので、テニスのラリーのように、飛んで来た質問に素直に、けれど力一杯返球した。
 答えではなかったかもしれないけど、とにかく目一杯返せた。
 
 おかげさまで、さっきまで見たこともない人たちと飲めた。みんないろんなことを抱えていた。でもなにかを本気でやろうとしている奴は少なかったように思う。
 俺と一緒に飲んだことで、彼らは何か変わるのだろうか? 正直わからん。彼ら次第だし、俺は知らん。
 でも飲んだのは事実。飲みながらいろんなことを、超マジに話したのも事実。
 それぞれの人生の中で、どうしたら自分を一番大切にできるかということは、自分でもわからない。そのために何かをやるのだ。
 何かをやろうってなると、もちろん辛いこともつきまとうけど、それでもやり続けていると、きっと何かが視えたり、きっかけを掴んだりすることもあれば、キッパリ諦めたりすることだってある。けれどそれは、とにかく「やりたい」から「やる」に切り替わった証拠である。だから意味がある。

 酔っぱらいながらきっと偉そうなことを言っただろうけど、実は言葉って自分を確認する場面でもあるのだ。
 人より数倍口数が多い俺は、すなわち誰よりも自分を確認しながら生きているわけだが、なかなか言葉通りには生きられないのが事実である。
 だからもっともっと、喉が涸れるまで喋り倒そうかなと思った3日間であった。

 故郷にはいろいろ感謝している。恩返しとはいかないが、故郷の人たちと、もっといっぱい喋ろうと思う。



『ふるさとへ“帰る”』

 明日から故郷に帰る。今でもつい「帰る」と表現してしまうのは、やはり東京には「来てる」という感覚が強いからだろう。
 こっち(東京)に来てからの方が断然長いのに、それでもまだ故郷には「帰る」気持ちが強い。なんなんだろうこの感覚は。いつになったら故郷に「行く」と言えるのだろう。
 そんなことは単なるツイッターだが、そうそう、今回は仕事で故郷へ。単なる帰省ではなくちょっと偉くなった気がする里帰りだ。
 何十年も会っていない同級生や1、2コ違いの先輩とか後輩にも会えるかもしれない。
 ずっと故郷を離れない奴でもきっと俺のネイチャーな方言には勝てないと思う。今回は本気で方言を喋ってやろうと思ってる。
 だからなんだ、って話だけど。
 それでは関市のみなさん、日曜日に。



『歩くこと』

 朝イチで渋谷へ。次は同じ渋谷の桜丘へ行き中目黒に戻ってから次は代官山へ行き、また中目に戻る。
 この行程を歩く。ジャージにジョギングシューズではなく、ワークブーツにトートバッグだが、かなりの距離を歩くことになる。
 中目から代官山、渋谷へはいやでも急な坂を上らなければならず、帰りはもちろん下り坂である。そろそろ人生そのものが下りはじめた俺にとって坂を上ることは人生そのものへのチャレンジでもある。
 休日はウォーキングをする。動きやすい格好をして軽いシューズを履いてシュッシュッ。平日はウォーキングではなくウォークをする。ウォーキングとウォーク。スピードやストライドに変化はあるが歩く事には違いない。「歩く」ことを週末だけの産物にしてしまうのはもったいないのである。
 ケータイ電話に追いかけられる人でも歩けば遠慮なく通話はできるし、早い話がカラダにいい。カラダにいいことをしているという認識が気持ちを嬉しくして、脳みそまでをもクリアにする。息が切れたり足が疲れたりするのはご褒美なのだ。
 いつからこんな考え方になったのだろう。とにかく俺はいつも歩いている。
 よく考えると、東京の人は本当にみんなよく歩く。鉄道網が発達しているから余計に歩くのだろう。自宅から駅まで、駅から会社まで、駅から訪問先まで、そしてランチへ飲み会へ。だから都会人の足は逞しい。田舎にいる頃、少しも歩かなかったもんな。単に細い足よりも逞しくてカッコいい足の方が美しいもんな。
 歳をとると自分が可愛くなる。だから歩く。タバコだってやめる。早起きだってする。自分好きのバロメーターは若い頃との生活意識の落差の大きさに表れる。
 早寝早起き。ベジタリアン。タバコはやらず酒はほどほど。毎日歩いて頭の中はエコとボランティアばっか。まるで仙人。
 そんな人にはなりたくないけど、それでも自分の可愛がり方が変わってきた。
 歩く。それだけで十分にアイラブミーなのだ。




2010/02/08

『寝貯めカンタービレ』

2010/02/06

『美と遭遇す』

2010/02/05

『ふるさとで』

2010/01/29

『ふるさとへ“帰る”』

2010/01/28

『歩くこと』
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